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京都霊山護国神社-その1

場所:東山区清閑寺霊山町

最寄り駅:京都市バス東山安井 

 

 

 

 

 

 

京都霊山護国神社は、幕末期に活動をした、いわゆる「志士」たちの招魂社として1868(明治元)年、太政官布告
 
により設立されたもので、招魂社としては靖国神社よりも古い。当時の名称は霊山官祭招魂社。
 
その後、1936(昭和11)年、京都府出身の戦没者も合祀すべきであるという意見が出て、霊山官祭招魂社造営委
 
員会が組織され、社殿の拡張工事が行われ、1939(昭和14)年に内務大臣告示一四二号により名称を京都霊山
 
護国神社と改称する。
 
祭神としては坂本龍馬などの幕末維新の人物からアジア・太平洋戦争までの京都府出身者の霊7万3011が合
 
祀されている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京都霊山護国神社入り口付近にある石柱。1939(昭和14)年3月建設。これ以外にも昭和10年代に建設、献納さ
 
れたものがたくさんある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京都府遺族会婦人部による「忠の碑」。裏には「大東亜終戦六十年を迎える本年、昭和十二年支那事変以降、
 
大東亜戦争に出征し、祖国日本の安寧を願い我身を賭して、今日の平和の礎となられた。 京都府出身英霊の
 
大偉業を子々孫々に伝えんがため、京都府遺族会婦人部一同力を合わせこの碑を建立す。 平成十七年四月
 
二十八日 京都府遺族会婦人部」とある。また京都府遺族会の会長は谷垣禎一である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〈史料〉
 
〈京都霊山官祭招魂社造営奉賛会設立趣意書〉
 
京都霊山官祭招魂社ハ、明治元年五月十日太政官布告ヲ以テ嘉永六年以来唱義精忠天下ニ魁シテ
 
国事ニ斃レタル殉難忠烈ノ士ノ英霊ヲ、京都東山ノ佳域ニ祭祀スベキ御沙汰ヲ拝シ、霊山々上ニ神祀ヲ
 
建設シ、京都及山口、高知、福岡、熊本、鳥取、久留米等ノ諸藩、其ノ他ノ嘉永、安政以来明治初年ニ
 
至ル勤王諸士ノ霊五百四十九柱ヲ奉祀セラレタル処ニシテ、此ノ地ハ東山中央ノ勝地ナルノミナラズ、
 
其ノ境域ニ接シ、祭神ノ墳墓三百余基千存シ、最モ由緒尊キ霊地ニシテ又我ガ国招魂社ノ創始ナリト
 
ス。   
 
   然ルニ西南ノ役以降、各戦役事変ニ際シ身ヲ鴻毛ノ軽キニ比シテ、剱電弾雨ノ裡ニ一命ヲ国家ニ
 
捧ゲタル本府ノ勇士二千三百有余ノ忠霊ハ以上勤王諸士ノ英霊ト共ニ東京九段坂上ニ荘厳ナル別格
 
官幣社靖国神社ニ奉祀セラレ、永ヘニ皇国鎮護ノ神トシテ国民ノ敬慕スル所ナレドモ、我ガ京都ノ招魂
 
社ニハ、維新志士ノ忠霊ノ外曾テ之レニ祭祀セラルヽニ至ラズ。斯カル現状ニ鑑ミ、此ノ際由緒深キ東
 
山霊山官祭招魂社ニ本府出身ノ戦病死者ノ英霊ヲ合祀シ、併セテ荘厳ナル社殿並ニ神域ヲ整備シ以
 
テ報本反始ノ誠悃ヲ致シ景仰欽慕ノ至情ヲ捧ゲントス。茲ニ於テ吾人相謀リ、我ガ桃陵師団将兵ガ国
 
防第一線ノ異域ニ於テ身ヲ捧ゲテ皇国ノ為ニ活躍セル□□□(史料破損のため読めず)々タル武勲ヲ奏
 
シテ凱旋セラルヽノ日モ亦近カラントスル洵ニ意義深キ秋ニ際シ、府民各位ノ愛国至情ニ訴ヘ官祭招魂
 
社造営奉賛会ヲ組織シ、普ク有志ノ献資ヲ募リ以テ官祭招魂社ニ西南ノ役以降ノ忠霊ヲ奉祀シ休光ヲ
 
万世ニ景仰セムトス。希クハ大方ノ諸賢、吾等ノ微衷ヲ諒トセラレ本事業ノ達成ニ絶大ノ御援助ヲ賜ハラ
 
ムコトヲ
 
                       昭和十一年二月
 
                            発起人代表
 
                                京都府知事          鈴木信太郎 
 
                                第十六師団留守司令部   河村恭輔
 
                                京都市長            浅山富之助
 
                                京都商工会議所会頭     田中博
 
                                京都府町村会長        奥村英一
 
 
 
 
 
 
 
 
〈財団法人大日本忠霊顕彰会京都府支部設立案〉
 
                      設立趣旨
 
必勝皇軍の大陸要地占領と共に、新世界創造の方途漸く定まらんとし、支那事変に処すべき国民の責
 
務は一層重且大となれり。   
 
   此の偉大なる功勲は、御稜威の下国家の総力を挙げてする輔翼尽忠の致す所、就中大命を奉じ
 
て身を鋒鏑の間に曝し、勇戦奮闘せる皇軍将兵の辛労に依るものなり。殊に或は傷つき病み、或は  
 
   天皇陛下の万歳を念願しつゝ欣然死に就きし忠烈の士の貢献たる、洵に絶大なりと謂ふべし。  
 
    事変以来国民感激の熱誠は翕然として此等忠勇義烈の士に鍾まり、軍人掩護等の諸行相次で
 
完からんとし、忠霊亦た靖国の神として畏くも御親拝の光栄にさへ浴しつゝあるは、万民の感激措く能
 
はざる所なり。   
 
   今や事変の前途益〃重大にして、忠霊奉戴の挙国的熱意愈〃加はらんとす。   
 
   此の時に方り陸海軍は、其の将兵の鮮血を以て彩りし事変作戦の主要地に塔碑を建設して遺骨
 
を納め神霊を祀り、篤く敬仰の衷を献げんとす。是れ実に忠霊を顕彰し、皇軍の心的威力を愈〃強大な
 
らしむるものなり。更に之を其の郷土に奉祀して厚く葬り、郷民をして永遠に礼拝するを得しむるは、国
 
民精神指導作興の根本たるべし。而して此等の諸業は実に現下緊急の経綸に属す。   
 
   是に於てか、関係各省の支持の下に大日本忠霊顕彰会を興し、軍の籌画に協力し、広く全国民の
 
赤誠を此の意義深き聖業に鍾め以て皇戦の真義に関する認識を昂揚し、国家総力の団結を愈〃鞏固
 
ならしむると共に、皇道世界文化の建設顕揚に資せんとす。   
 
   而して本事業の達成を期する上に国民的協力を求むるため道府県に之が支部を設け、中央、地方
 
相呼応して全国的活動を為さんとす。本府に於ても右中央の方針に基き財団法人大日本忠霊顕彰会
 
の支部を設置して本会設立の主旨に基く事業遂行に協力し、府民各位の絶大なる御援助、御協力を得
 
て目的の達成を期せんとす。   
 
 
                       事業方針
                    
   一,財団法人大日本忠霊顕彰会設立の主旨に基く事業遂行に協力するものとす。   
 
   一,皇戦に殉じたる本府出身の忠死者の忠霊を顕彰する為、忠霊塔及忠霊館を建設して之が維
 
持を図り併而祭祀を執行すること。   
 
   一,其の他忠霊顕彰事業。   
 
(上記二点の史料は、「昭和十四年 京都霊山護国神社奉賛会一件   日村社寺課長」(京都府立総
 
合資料館所蔵   京都府行政文書昭和14-99)によるもの)
 
 
 
 
 
 
これは、「京都霊山護国神社遷座、合祀祭の様子(1939年4月30日)」(1939年5月4日 京都市 「京都市公報」第
 
九百四十二号)
 
下記の解説がつけられている。
 
「明治元年   
 
有り難き聖旨を拝して我が国最初の招魂社を建立せられた由緒も深い洛東霊山の浄域に木の香も神々しく拡
 
張造営せられた京都霊山護国神社の遷座竝に合祀祭は四月三十日午後八時からいと厳かに執り行はれた。 
 
百八十万府民の赤誠をあつめて事変下を迎へた此の厳儀に今次事変護国の神となつた幾多勇士の遺族のほ
 
か中岡第十六師団長、片桐舞鶴要港部司令官、市村市長、其の他造営奉賛会役員等約三千名参列し、先づ田
 
中社司、赤松京都府知事それぞれ諸員を随へて仮殿前に参進、一同起立のうちに社司うやうやしく祝詞を奏し
 
終れば神前の御灯、庭燎一斉に消されて神域はさながら太古の如き浄闇に還る裡に霊山官祭招魂社の五百四
 
十九柱、東福寺、大雲院、泉涌寺の四百九十七柱、合せて一千四十六柱の英霊の御霊代を納めた御羽車は田
 
中社司奉戴申上げて御神座に奉安し終れば神灯、庭燎再びあかあかと神域を照らし社司の祝詞に次いで赤松
 
知事及び祭神縁故者総代久一氏玉串を奉奠して午後九時半遷座祭の義を終つた。   
 
   続いて天誅組中山忠光卿をはじめ佐賀、西南の両役、日清、日露、日独戦争、満州、支那両事変等の殉
 
国の英霊二千三百八柱を合祀する合祀祭の儀に移り田中社司降神の儀を行ひ、祝詞に次いで赤松知事、各市
 
郡の遺族総代、その他参列者の拝礼があつて午後十時半終了したが、翌五月一日は午前十時から幣帛供進
 
の儀が   久邇宮故多嘉王妃静子殿下の台臨を仰いで執行され、□□では此の盛儀を十時二十分から約三
 
十分に亘つて謹んで放送をなし府下各学校、官公衙に於ても同時刻遙拝式を挙行、午後は各学校生徒の団体
 
参拝あり、護国の英霊に対し全府民の敬意の中に意義深き大祭を終了した。   
 
   尚中岡師団長は一日、二日の両日に亘り午後一時より弥栄会館に遺族四千余名を招待して講話をなし
 
数々の余興をなして遺族を慰めたがそのあたゝかい心尽しは各遺族に多大の感銘を与へた。(1939年5月4日 
 
京都市 「京都市公報」第九百四十二号)
 
 
 
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