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南京事件の海外での報道-1

 昭和初期に出版物の取締り・検閲を行っていた部署として内務省警保局図書課がある。この図書課では、どのような出版物を検閲したか、どのような理由から差し止めにしたか、日本国内・海外での出版物の思想的傾向はどのようになっているか、などをまとめた報告書を作成している。それが「出版警察報」である(龍溪書舎から復刻されている)。もちろん極秘扱いのものだ。

 
 この「出版警察報」で、南京事件が起こった以降の所を見ていけば、南京事件を報道している海外からの出版物(新聞・雑誌など)が相当数あり、しかもそれらが検閲され、記事差し止め処分になっていることがわかる。
 
 すべてのものをここで抜粋していてはキリがない。ここではいくつかを抜粋してみる。もし興味を持った人がいたら、ぜひ自分自身の目でこの「出版警察報」を読んでもらいたい。
 
 
 
 
 
 
 
 「The Shanghai Evening Post & Marcury」(上海 1937年12月25日発行、1938年1月27日禁止)
 
 見出し-「南京ニアル日本軍ノ暴行ハ事実ナリト目撃者曰ク」
 
 内容-「南京入城後殺人鬼と化せる日本軍は数日間に亘り無闇矢鱈に殺害し掠奪し強姦せり。同市在住の外国人は到る所に死体を目撃せり。安全地域に於てすら市民は殺害せられ銃剣にて突殺さるる光景が見られ
た。」(「出版警察報」1938年1月分)
 
 
 
 
 
 
 
 「循環日報」(香港 1937年12月27日発行、1938年2月4日禁止)
 
 見出し-「南京ヨリ来港ノ西洋人、日軍ノ南京蹂躙情況ヲ憤慨シテ語ル」
 
 内容-「日軍が入城と共に市民は続々と避難したが、日軍は之等の避難民を捕ひ、一列に並ばせ一斉射撃を以て之を悉く銃殺して了つた。斯くて斃れた避難民の死体は山を為したが、殊に老弱、婦女、幼児の叫び声は天を震はし、人をして見るに耐へざらしめた。(中略)又日本軍の将校及兵士の家には凡て支那の婦女が見られるが、之は日本軍が捕へて行つて姦淫してゐるのである。或る婦人は懸命に反抗したので剣で頭を叩かれ、倒れたとの事である。」(「出版警察報」1938年2月分)
 
 
 
 
 
 
 
 「l.ife」(シカゴ 1938年1月10日発行、2月14日禁止)
 
 見出し-「南京攻略ニ関スル記事並ニ写真」
 
 内容-「写真(第五〇頁以下)説明-南京城内に於ける戸毎の抵抗戦に憤つた日本軍によつて五十人宛縛られて銃殺せられた兵隊と市民…背後の日本兵達は二輪車を使用して主として食糧を手に入れる為に組織的な
る掠奪をやつてゐる。日本軍の如き規律正しい陸軍に於て珍しいことであるが、この組織的なる南京掠奪は日本陸軍の兵站部が威信よりも食糧を必要としてゐることを示すものであらう。
 
 記事(第五十一頁上左)-名状し難き混乱の裡に於て日本軍は逃げ出してゆく凡ゆる人々を射殺した。疑しい
 
兵士は群をなして殺された。「安全地帯」の或るビルデイングでは四百人が一緒に縛られて拉致されて行つて銃殺せられた。調査未了の強姦事件も二三報ぜられた。
 
 写真(同頁下)説明-頑迷なる抗日支那人の晒首、彼の首は南京陥落の直前十二月十四日に城外に棘の付いた鉄条網のバリケードに突き刺されてゐた。」(「出版警察報」1938年2月分)
 
 
 
 
 
 
 
「The New York Times」(ニューヨーク 1938年1月9日発行、3月16日禁止)
 
 見出し-「南京陥落ニ日本軍暴虐ノ跡ヲ遺ス」
 
 内容-「日本軍の勝利は野蛮なる惨酷さと捕虜の一律的処刑、市内に於ける掠奪強姦殺戮其他一般的に日本軍隊と日本国民の声価に汚点を残したる蛮行によつて傷けられたのである。(中略)
 
 支那人の婦人は日本軍によつて思ふが儘に苦しまされ米国宣教師が私かに知つたことに就ても多数の婦人が避難民収容所より連れ出され強姦せられた幾つかの事例がある。」(「出版警察報」1938年3月分)
 
 
 
 
 
 
 
 「ニュース」(シャトル 1938年1月10日発行、3月9日禁止)
 
 見出し-「フアツシヨ脅威下の日本」
 
 内容-「今事変南京占領の際過去の日本軍には見られなかつた掠奪強姦虐殺が大量的に行はれたので外人目撃者は非常に驚いて「南京攻略戦は日本戦史に輝かしい記録として残るよりも、その大量的虐殺の故にかへつて、国民の面をふせる事件として記憶に残るであらう」との見解を漏らしてゐるが、斯くの如き惨虐行為が大々的に行はれた原因については橋本大佐以下のフアツシヨ将校の下克上の勝手気儘な行動が処罰されないやうな状態にあるから、これが一般士卒にまで悪い影響を与へ、軍紀が全くみだれて斯んなことになつたのであるといふ結論に達してゐる。一説には今回の戦争に大義名分がないから緊張味を欠くのだとも云はれてゐる。いづれにせよ憂慮すべきニユースである。」(「出版警察報」1938年3月分)
 
 
 
 
 
 
 
 「New York Herald Tribune」(ニューヨーク 1938年3月4日発行、4月27日禁止)
 
 見出し-「南京ニ於ケル日本軍ノ犠牲支那婦人病院ニ群ル」
 
 内容-「アメリカ宗教団体病院である南京大学病院は現在支那の前首都南京攻略に参加せる日本兵士による夥しき強姦の結果たる花柳病の治療を受けてゐる支那婦人少女で群つてゐると同大学に属する外国人医師が報告してゐる。アメリカ人である病院当局も亦日本兵士に依つて凌辱された結果母とならんとしてゐる彼女達の娘に堕胎を行つてもらう事を外国医師にたのむ多数の支那人の母達と応対すると云ふ哀れな問題に直面してゐる」(「出版警察報」1938年4月分)
 
 
 
 
 
 
 
 南京事件については、当時の日本国民一般はこのような情報の統制によって知らされることがなかった。
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