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横浜の起源

2014-10-20 10:53:58 | 日記
 今回、金沢区にある、由緒ある金沢の四石・七井・八名木をご紹介してきましたが、この中で、七井は。当時の住民に欠かすことの出来ない飲料水等の確保であった模様であります。このことから、横浜市の水道事業に期待して、周辺のとりわけ久良岐郡の六浦村・金沢町などが合併を望んだとあったので、これら調べまとめてましたので、紹介いたします。
 先ず、横浜の地名の起こりでありますが、諸説あるようです。一つは、象ケ鼻と呼ばれる細長い砂洲が石川の台地から細長く突き出ていて、海上や陸地から見た様子が「横たわる浜」から、地名が起こったとする説、二つは、本牧岬から流れ出た土砂が象の鼻に似た砂洲を形成していたことから、「横浜」三つは、「浜の横」つまり浜のそばにある村と云う意味だという。説もあるようです。
 さて、横浜起源は、徳川12代将軍家慶の時代に編集された新編武蔵土記には、1827年(文政10年)頃の姿は、「其ノ民戸87東北ハ海岸ニ傍ヒ、西ハ洲乾ノ湊(現横浜公園及び港町附近一帯)ニテ南ハ中村、北方ノニ村(現中区石和町・元町以南の地)ニ隣レリ、東西10町又7~8町ノ処アリ南北モ大抵18町程ナリ」とある。すなわち、230年間の経過のうちにも12戸から87戸へと、この地に土着した地民の静かな発展がしのばれるのであった。なお、12戸と云うのは、1595年(文祿4年)9月朔日の縄張帖によれば、戸数わずかに増徳院ほか12戸の半漁半農の村落に過ぎなかったと云う。
 これが、1859年(安政6年)に横浜開港、久良岐郡「横浜村」からはじまり、その後、横浜町と改称(日本人町5町と外国人居留地)、1866年(慶応2年)範囲の拡大町数32町となる。1872年(明治5年)新橋~横浜間鉄道が開通、更に、1878年(明治11年)郡区町村編成法により、久良岐郡より「横浜区」が独立関内を中心とする市街地81か町で形成することとなった。
 更に、1889年(明治22年)市制施行されて、市域は、関内・桜木町(現在の中区一帯)の138か町を形成、次いで、1901(明治34年)から1939年(昭和14年)の38年間に6次にわたり市域拡張を図った。また、その間の1927年(昭和2年)に区政が引かれ鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区の6区が誕生した。
 その後、下記年表の様に周辺の町の併合や分区を繰返し現在の18区に至っているものであります。
横浜市水道70年史 横浜市水道局より

年表


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