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銚子の井について

2017-09-23 09:14:40 | 日記
「鎌倉趣味の史跡めぐり」著者 長峯五幸氏によれば、次のような記述がありましたので、投稿いたします
銚子の井は、名越の踏切をすぎて間もなくの左側のちっと引き込んだところに井戸はあるが、ほこりをかぶった何となく憐れな様子に見受けられる。
 名越の切通しを往来した昔の通行人達は、ちょうどこの辺まで来ると水が欲しくなる頃合だから、きっとこの井戸の水で心行くまで渇をいやしたことであろう。
 銚子の井で通っているが、鎌倉市史など、本によっては「石の井」となっている。名前の示すようにオール石造りであり、銚子のような形をしているのだ。
 分厚い石の蓋の巨大なのが覆っているが、すこしずれているので底が見える。水は青味がかって、とても使えそうもない。そぞろ憐れな風情である。
 かつては一端についている出口から奇麗な水がこんこんとあふれ出ていて、誰か酒飲みがその有様を注視して「これがお酒であったなら・・・」といやしげなことを考え、その欲求不満が昂じて、いつしか銚子の井と名づけてしまったのであろう。
 それでは、銚子とは何か。
 高砂やのときに巫女が新郎新婦に授ける三々九度の盃に注ぐ、柄の長い酒器のことである。昔の酒宴では、お酌をするのに必ずあれを使ったらしい。字引にもちょうし(銚子)①酒宴に用いる具。酒を盃に注ぎうつすに用いるための具で、柄を長くしたもの。木製または金属制で近世は多く婚姻に用いる。両口と片口のとある。②徳利。(広辞苑)と出ている。徳利のことを「おちょうし」と言うのは間違いとまでは行かなくとも、混同していることになろう。
 銚子のはじめは、三代実録の貞観六年(864年)1月15日のくだりに銚子(さしなべ)の名の見えたのが文献にあらわれた最古のものという。
 〇 足音に 銚子をかくす けちな酒 (安水)
古い百科事典である冨山房の国民百科大事典に下記のように解説している。
 ちょうし(銚子) 注子ノ転訛。酒ヲ入レテ盃ニ注グ器デ、昔ハ瓶子ヲ同ジヤウニ呼ンデヰタガ、現今銚子ト称スルノハ土瓶ノ如ク口ノ付イタモノデ、鉄・銅・錫・稀ニハ漆器ノモノモアリ、同質ノ手ガ付イテヰル。而シテ注口ガ一方ニアルノヲ片口、両方ニアルノヲ諸口ノ銚子トイフ。柄ノ長イノガ本来デ、之ヲ長柄の銚子トイヒ堤子即チ鉉付ノモノヲ加へノ銚子トイフ。極めメテ鄭重ナ儀式ニハ本酌人ガ長柄ノ銚子ヲ捧ゲ、次酌人ガ堤子ヲ捧ゲテ、一献毎ニ酒ヲ長柄ノ銚子ニ加ヘルノデ此名ガアル。略式ノ銚子ハ底ガ丸ク鍋形デアルカラ酣(燗)鍋トモイフ。更ニ略シテ徳利ト猪口トヲ用ヰル場合ニモ尚、オ銚子ト呼ブ。之等ハ新年祝賀ノ場合ソノ他各種賀宴ノ場合及ビ懐石料理等ノ時ニ用ヰル。正式ノ祝賀ノ宴ニハ、銚子ニ三ツ組ノ盃ヲ用ヰルノガ正シイ。此ノ如キ場合ハ、本酌ト(加ヘ)ノ二ツノ銚子ヲ用ヰテ酌ヲスルノガ作法。コノ場合ニ雄蝶・雌蝶ヲ附ケル時はハ本酌ニ雄蝶ヲ、加ヘニ雄蝶ヲ附ケル。
 まったく故実というやつはやかましい。こんなに物々しくされてはお酒を飲んでも酔っぱらうなどということはおっかなくて出来やしない。
 願わくば、略式のまた略式のそのまた略式に、茶わん酒の無礼講か、おでん屋で一寸一バイと行きたいものだ。以上のような記述がありました。
 井戸の存在場所
 大町五丁目二の十七 石渡政治氏方

(銚子の井戸は、掲示版横から入る)

(銚子の井戸石標)

(民家の建艦横の銚子の井戸)

(同 銚子の井戸)
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