HOME SWEET HOME

S子の週末DIY

ブログ移動します。

2011年03月25日 12時17分13秒 | Weblog
4月以降はあまり長文が書けそうもないのでアメブロに移行しようと思ってます。

まだ色々いじくってますが新しいブログはこちらになります。

↓↓↓↓

http://ameblo.jp/home-sweet-home-sach
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液状化現象

2011年03月22日 21時26分09秒 | Weblog
被災している人たちから見たら液状化現象といっても命があるだけいいと思うかもしれない。

でもかつて浦安に居住し、海浜病院で二人の子供を産んだ私はその被害が気になる。

そしてその写真を見たとき通常では考えられない被害だった。

一番被害の大きかった今川付近はかつて住んでいたマンションの目と鼻の先。

その付近が液状化現象で地盤が沈下し、家が傾き、マンホールが浮き出している。

液状化した泥をボランティアの人たちで一生懸命運んでいるようだけどとても人手が足りない様子は

ニュースにはなっていないけど事実としてある。

Q−ちゃんや、Jがお世話になった保育園の先生や同級生の子たちもまだまだそこにいるんだと思う。

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自分にできること

2011年03月21日 20時36分16秒 | Weblog
停電の日に家に帰ると子供たちが懐中電灯をこのようにしてありました。



そして今でもこの状態です。


Q−ちゃんは地震以来学校へ行けずストレスピークの中、ここ数日ジムのお手伝いをさせていただきました。

いつもいつ時間が取れるともわからずの状態で会長には面倒を見ていただき本当にありがとうございました。

私は土曜日から毎日「今日はあとから行くね」と言いつつどうしても気持ちが前に行かなくて

ようやく今日13日ぶりにジムへ行きました。

皆が元気にしている姿を見ると何となく家族の安否を確認したような安堵感がありエネルギーをもらって帰りました。


仙台に実家があり親族が被災してる友達、まだ地元の友達の安否が確認できないと言っている銚子の友達、

あちこちから連絡が入りなかなか返事もできずにいます。ごめんなさい。

私ができるのは節電、そしてガソリンを使わないこと、そして募金です。

あとは子供たちを立派に育ててこの日本を立て直し、発展させる一助となれるようにすることです。

ミネソタからは「こんな時だから家族と一緒にいたいでしょう。留学のことはゆっくり考えて。」と連絡があったけど

私も、そしてQ−ちゃんも最初から行かないという答えは無かったと思います。

日本に起きた現実を世界に伝え、その中で自分ができることを見つけてきてほしいと思います。



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阿部さん、生きていて。

2011年03月20日 21時50分38秒 | Weblog
実家を作ってくれた棟梁の阿部さんは引退後福島にある実家の新地へ退いた。


父と母、そして親戚ぐるみでお世話になり長い年月お世話になってきた。

実家の棟上げの日、私はまだ4歳ぐらいだったけど骨組みばかりの家に作業用のライトを照らし

紙皿にお菓子を入れてみんなで楽しくお祝いした日の楽しさを鮮明に覚えている。

父と母はいつも阿部さんがこの家を建ててくれたということを誇りにし、子供たちに

誇らしげに語っていた。

確かに地震が来てもほとんど揺れも感じなかったし頑強な造りであったようだ。

でもそれを本当に知ったのは都市計画道路対象地区で立ち退くために実家を

壊した時だ。

私は自分が育った家が粉々にされるその前に知り合いの大工さんと一緒に行ってもらい

利用できる限りの材料は持ち帰りたいと無理を言った。

私は2畳ほどしかなかった父の書斎兼、母がズボンのすそ直しのパートをするために使っていた作業台の一枚板を

抜いてほしいと頼んだがあまりにも頑強に取り付けられていて根元から取ることはできなかったので丸鋸で切断し

今は私の部屋の机になっている。

それから私の部屋の本棚の板も切ってもらい持ちかえった。

取り壊した後も釘が刺さったままの柱や根太をそれでもいいと大工さんに拝み倒しキャリアに積んで持ち帰った。

粉々になった家の材料をそんなに持ち帰ることはできないとわかっていたけど

それでもこれが全部廃棄されてしまうのかと思うとなんだか辛くて暫くその場にいたのを覚えている。

色んな思い出があの時の自分には蘇っていたと思う。


知り合いの大工さんは実家の造りを「本当にいい仕事をしている」と感嘆していた。

私は幼い時から阿部さんにはそんなに会っていなくても阿部さんが作った家なら大丈夫だと思っていた。

それだけの信頼を阿部さんに対して両親は抱いていたのだろう。

それからも何度も何度も阿部さんは家に来て家族ぐるみのお付き合いをしていたし何かあればすぐリフォームもしてくれた。

私が家を買った時、壊した実家の古材でリビングが覆われていた。雨に濡れて材料が痛むのが嫌で埃臭い古材を暫く

家の中に入れて畳の部屋にブルーシートをひいて仕事から帰ってから自分のベッドの飾りをジグソーを使ってその古材で作ったりしていた。

子供たちからはせっかく新しい家に引っ越したのになんでこんな汚い木材を家に入れるのとヒンシュクを買い、

でも今は子供たちの部屋の本棚となり倉庫となって生きているものもある。


その阿部さんが見つからない。


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忘れてた。。

2011年03月20日 19時18分36秒 | Weblog
地震があった翌週の火曜日、会社にはほとんどの人たちが来れずにいて

社員食堂は機能しなかった中で課に駐在しているある混載業者の男性が

「自分たくさんおにぎり買ってきたんで、、、遅れましたけどホワイトおにぎりです。」と言って

配ってくれた。ほかの業者の男性も電車のダイヤが乱れる中わざわざ寄り道してホワイトデー用のクッキーを買いに行ってくれていたらしい。

そんなみなの心遣いにとても感動していた。

課のお男性からも少し遅れのホワイトデー、いつもなら箱でみなさんにって言ってくれてたけど

今年は一人ひとりに配ってくれてなぜか私だけ吟醸ヌーヴォーと書かれたむき出しの日本酒ボトル。

みんなの笑いを誘ったけどとてもあたたかい空気が流れていた。

いつ電車が止まるかわからない状況の中、本当にありがたかった。

そして今日もジムの人がQ−ちゃんづてにホワイトデーのケーキを渡してくれた。

バレンタインの日は突然の大雪であわてて閉店間際のシャトレーゼまで自転車で行って飛び込んだっけ。

ジムについたら全身ビショビショで練習着もビショビショで練習もできず会長に皆へと言づけることしかできなかった。

印象に残る日だったけどでもそんなことはすっかり忘れていた。

少し遅めのホワイトデーのケーキはいつも以上に心に沁みた。

旦那さんの遺品からホワイトデーの贈り物と思われる指輪が見つかったというニュースを見て

まだまだ痛ましい被害は増えているのだと思い涙が出た。
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否応なしに迫る現実

2011年03月19日 21時27分01秒 | Weblog
会社の工場は相馬市の新地にあり海から1キロ程しかない。


ある電機メーカーに勤めていた叔父と話しているとやはり東北地方に基盤を作っている工場があり

相当な被害を受けていると言う。

ここ数日父といろいろな話をした。

東電に勤めていた父の友人は停電の際のシステムをプログラムしていた人物だったと言う。

その時はまさかそのプログラムを使うと思って作っていなかったという。

しかし、計画停電というその複雑なプログラムはまさに世界のどの国と比べてもまさに神業だと言っていた。

確かに日本を超える経済大国のアメリカでさえニューヨークのすべてが停電になってしまった。

そして原子力発電の研究者の友人から得た情報ではその後の対応はどうあれやはり地震後にストップしたということはすごいことだという。


否応なしに現実は迫ってくる。

淡々と大学院の入学案内が来て、4月3日から授業は始まる。

カリキュラムを見ると正直これだけのものを自分にこなせるのかと思うと汗が出てくる。

Q−ちゃんの留学のため、そして自分の勉強のため、もう待ったはなく池袋へパソコンを買いに行った。

電車が止まってもいいようにリュックをしょって歩きやすい恰好で行った。

帰ってからまずはQ−ちゃんのパソコンのセットアップをし、Jの最新i-podのためi-tuneをアップグレードし、

最後に自分のパソコンのセットアップをした。


この一週間、本当に色んなことを考えた。とても長い一週間だった。

まだまだ被災地の人たちは未来のことを考える状況にはとてもないと思う。


「知は力なり」


日本がこんな状況だから家族とともにいた方がいいならそれでもいいと留学先のお母さんからメールがあった。

私には何の迷いもなかったしQ−ちゃんも迷ってなかったと思う。

日本がこんな状況だからこそこれから先世界を学び、広い視野を持ち、様々な経験をし、大きな人間に育ち

これからの日本を支えていってほしい。

そして何より、日本であったことをたくさん話してそしてアメリカの人たちからも様々な経験を聞いてたくさんの勇気が持てる

強い人間になってきてほしいと思う。


知はたくさんの人を救う。

そう信じて私も頑張りたいと思う。

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卒業式

2011年03月18日 20時18分16秒 | Weblog
仕事をほおっておけないという気持ちもあったけど子供たちにとっての親は私だけ。

今まで経験した事のない胸が張り裂けんばかりの思いの卒業式。

合唱の場面で流れる市役所からの停電の放送。空襲警報は知らないけどきっとそんな不安が渦巻いている。

先生からの涙ながらの挨拶。父兄も卒業式なのに髪もボサボサの人が沢山いた。

きっとみんな色んな意味で大変な思いをしているのだろう。

子供達は強い。どんな場面でも笑う事ができる。でもその胸の内にどんな不安を抱えているのだろう。

Q−ちゃんは地震以来学校へ行けず毎日家の中にいてストレスが溜まってきて

私も仕事でイライラが溜まりきつい事を言ってしまうと布団に潜り声を殺して泣いている。

東京がこんな状況なら被災地の人達の不安、ストレスは一体どれほどのものだろう。


帰ってからすぐさま会社の情報を拾うと日経新聞に自分の会社のことがニュースになっていた。

会社に電話をすると上司は朝からエレベーターの動かないビルの階段を何往復もし走りまわっていてつかまらない状況だという。

こんな時に本当に申し訳ない。


地震以来小刻みにしか眠る事が出来ない。

特に停電の夜の時の恐怖感。何度も何度も玄関へ行って戸締りを確認する。

そして節電しなければと思いながらも電気をつけていないと眠ることが出来ない。

私が子供を守らなければとずっと思って生きてきたけど

自分の不甲斐なさが情けない。

怖い。


強いのは子供ばかりではない。戦火をくぐり抜けてきた我々親世代は本当に強いと思う。

父は食べるものがなく生の芋を食べ、結核で何度も吐血し死を目前にし生き抜いた。

いつでも死ぬ覚悟は出来ているのだろう。

自分達が築いてきた会社が揺らいでいても心配しながらも

「なるようにしかならない」

と言いきれる。


そうだ。仕事が無いという不安は何度も味わってきた。

いつの間にか仕事があるのが当たり前になっていたけど

あの頃の気持ちを考えればいつでもスタートラインには立てる筈だ。

不安は人を破壊する。その事を自分は良く知っている。

でも闇はいつか光へ向かう、その事も信じる事が出来る。

母は今まで大切に大切に育ててきた花々のスペースをひっくり返しすでに野菜の種を蒔いたという。

「いざとなれば自給自足よ!」

日本人は素晴らしい。

日本がこんなことになって、あらためて思い知らされた。

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現状

2011年03月16日 18時23分39秒 | Weblog
八戸と相馬にある生産子会社はとんでもないことになっているようだ。

製品の重要な部分を生産しているのでラインが動かないと国内でも海外でも

商品を作る事が出来ない。

特に被害の大きかった相馬に出張していた人は津波に追われながら命からがら車で逃げたということで

昨日ようやくこっちに帰ってきたという。

海外からのFLTは40以上のキャリアが日本向けの貨物についてエンバーゴしているので

これから物資の入手に支障が出てくるのかも知れない。

あちこちから情報を取っているが纏めようにもどこもひっちゃかめっちゃかで正確な情報を得る事が出来ない。

成田空港内のJALの上屋の屋根は崩壊して一時立ち入り禁止になったというし、

現時点でも正確なFLT状況はつかめない。

成田にある会社の委託倉庫の棚からは製品が崩れ落ち検査しなければ出せないし、

毎日余震が来る度何回も外に出て避難しているという。

銀行もシステムがストップして海外から送金を受けても入金が出来ない。

昨日は会社構内にある倉庫の荷物の受け入れもエレベーターが稼動せずマンパワーで4階まで

海外からの受け入れ貨物を運ぶしかなかったと。


4トントラックでも何でもチャーターして救援物資を被災してる子会社へ送りたいから

アレンジして欲しいと上から課に依頼があったがまず地元警察に高速の通行許可を

となければならないし、そもそも運送会社からの情報では現地への乗り入れはできないとのことだった。

何かしたくても何もできない。


2008年の四川の大地震で被災したという中国工場の同胞からも励ましのメールを貰った。

その時は恐怖で1ヶ月間家の中で眠れず外で眠ったという。

香港からも沢山、、。アメリカからも私のアドレスを知らないはずなのにわざわざ聞いて送ってくれた。


みんなからのメールを読むとありがたくて涙が止まらない。



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今日一日

2011年03月14日 22時47分55秒 | Weblog
今朝は計画停電のことがありましたが上司との連絡の中でも会社から連絡が無かったようなので

自転車で通勤できる私はとりあえず出社しました。

新青梅街道は大渋滞で朝からコンビニは多くの人が詰めかけていたし確認した道中全てのガソリンスタンドは

すでに売り切れの張り紙。ポリタンクを自転車に積んで走っている人を見たけどスタンドまで来ても買うものはない。

途中で山崎パンの工場の店を覗いたらパンが3割引きで売られていた。

こんな時に足元見て値を吊り上げる店もあればこんな風に下げる店もある。

会社に着くとある程度想像していた通り人気が少なく構内は閑散としていた。

エレベーターが使えないので階段で5階まで行った。

5階と行っても4階までは設備投入できるように通常の2階分の高さになっているので

8,9階くらいまで上がる程の距離がある。

フロアに入ると休日出勤したように人がポツリポツリとしかいなかった。

上司からすぐに「せっかく来たけど今日は帰宅するようにとのこと」と言われた。


仕事の事はもちろん気になったけど日本全体のことを考えるとどの物流ルートが生きているのかだけでも確認しようと

関係のある業者全てに電話したがどこも同じような状況で人手も足りず正確な情報を集める事ができない。

国際便は動いているようだが停電の関係で通関が出来ているのかもわからない。

ものが到着、または搬入されていてもそこから動けないということか。

成田にある倉庫の商品は棚から落ちぐちゃぐちゃになっている写真が送られていた。

被害のあった海岸近くにある子会社とは電話が通じず、連絡が取れないとのこと。

だめだ、正確な情報は何も集められず今日はこれ以上何も出来ないと判断した。

そしてまた大きな地震が来てびっくりして机の下にもぐりこんだ。

震度3とのことだったがなんとも言えない恐怖感があったのですぐ会社を出て帰宅した。

子供達もこの3日間一人で寝るのは怖いと私のところにきて一緒に寝ている。

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今日一日

2011年03月14日 22時47分55秒 | Weblog
今朝は計画停電のことがありましたが上司との連絡の中でも会社から連絡が無かったようなので

自転車で通勤できる私はとりあえず出社しました。

新青梅街道は大渋滞で朝からコンビニは多くの人が詰めかけていたし確認した道中全てのガソリンスタンドは

すでに売り切れの張り紙。ポリタンクを自転車に積んで走っている人を見たけどスタンドまで来ても買うものはない。

途中で山崎パンの工場の店を覗いたらパンが3割引きで売られていた。

こんな時に足元見て値を吊り上げる店もあればこんな風に下げる店もある。

会社に着くとある程度想像していた通り人気が少なく構内は閑散としていた。

エレベーターが使えないので階段で5階まで行った。

5階と行っても4階までは設備投入できるように通常の2階分の高さになっているので

8,9階くらいまで上がる程の距離がある。

フロアに入ると休日出勤したように人がポツリポツリとしかいなかった。

上司からすぐに「せっかく来たけど今日は帰宅するようにとのこと」と言われた。


仕事の事はもちろん気になったけど日本全体のことを考えるとどの物流ルートが生きているのかだけでも確認しようと

関係のある業者全てに電話したがどこも同じような状況で人手も足りず正確な情報を集める事ができない。

国際便は動いているようだが停電の関係で通関が出来ているのかもわからない。

ものが到着、または搬入されていてもそこから動けないということか。

成田にある倉庫の商品は棚から落ちぐちゃぐちゃになっている写真が送られていた。

被害のあった海岸近くにある子会社とは電話が通じず、連絡が取れないとのこと。

だめだ、正確な情報は何も集められず今日はこれ以上何も出来ないと判断した。

そしてまた大きな地震が来てびっくりして机の下にもぐりこんだ。

震度3とのことだったがなんとも言えない恐怖感があったのですぐ会社を出て帰宅した。

子供達もこの3日間一人で寝るのは怖いと私のところにきて一緒に寝ている。

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