群川(むれかわ)は行き先を決めない旅に出た。時間に追われることもなく、春先の暑くも寒くもない清々(すがすが)しい陽気の旅である。気分が高揚(こうよう)しない訳がない。
「あの…つかぬことをお訊(き)きしますが、この祠(ほこら)は?」
行き当たりばったりの駅で下車し、しばらく歩いていると、見かけない祠が群川の目の前に現れた。旅先のまったく知らない地へ降り立ったのだから、それも仕方がなかった。偶然、年老いた村人らしい男が通りかかったのを幸いに、群川は訊(たず)ねてみることにした。
「ああ…猫頭(ねこあたま)さんですかの…」
「猫頭さん? なんですか、それは?」
「ははは…猫頭さんは猫頭さんですがな。この祠の前で手を合わせてお願いをしたあと、頭をグイッ! っと祠に向けて突き出すと、その願いが叶(かな)う・・という有り難い道祖神さんなんですわい」
「なるほど…」
「どれっ! 私も久しぶりに、お願いしてみますかのう。孫の受験が近づいておりましてな…。あなたも、ひとつどうですかいのう?」
「えっ? …そうですね」
「私がやるとおり、なさればいいですけん…」
「はあ…」
群川は村人がやるとおり、頭をグイッ! と祠に向けて突き出した。やってみたあと、なぜか自分が馬鹿男のように思えたが、旅の恥は掻(か)き捨て・・気分で忘れることにした。
村人と別れたあと、しばらく散策しながら楽しんで歩き、現れた適当な食事処(しょくじどころ)で腹を満たした群川は、そろそろ別の土地へ行こう…とした。ところが、である。駅へと向かう先ほど来た道を逆に辿(たど)っていると、また同じ場所へ戻(もど)って来るのである。そこは、猫頭さん・・と村人が呼んでいたあの祠だった。その後、二度、三度と繰り返し、群川は同じルートを回り続けた。そうこうして、何度目かにまた祠へと戻ったときだった。先ほどの年老いた男が笑って立っていたのである。
「ははは…どうされた? 行こうとしたら、また来んしゃったか」
「はい。行こうとしたら、また来ました」
「ははは…もう起きなされ」
「えっ?」
そのとき、ハッ! と群川は目覚めた。まだ夜が明けきっていなかった。群川はその朝、行き先を決めない旅に出ることにした。
完
最新の画像[もっと見る]